ロサンゼルス火災の一日も早い鎮火と復興を願います
1月7日から始まったLA近郊の山火事は3週間以上経過した今も完全な鎮火のニュースはありません。今年54歳を迎える私は約30年前ロサンゼルスで約5年間生活をしていました。当時はロスアンジェルスと表記していました。20代前半で英語も話せない若者(馬鹿者)の私を暖かく迎え入れてくれた懐の深い街でした。

日本人にとって世界一住みやすい海外の都市LA
当時私はハリウッド映画とハードロックを愛するアメカジ大好き青年でした。(懐かしい(笑))温暖な気候で年間を通して気温差は日本に比べ少なく冬でもマッチョマンはタンクトップに短パンと草履スタイルの人がいて暖房を入れる機会は年に数回程度と記憶しています。当時はバブルがはじけた直ぐ後で振り返れば日本の経済もまだ強かった時代でした。円も1ドル79円の時が有り(当時の円は強すぎ今の円は弱すぎ)円高のお陰で何もかもが安いと感じていました。元々日系移民が多く住むLAは郊外のガーデナ、ダウンタウンのリトルトーキョーといった所には日本食のレストランがあり私が住んでいたウエストロサンジェルスにも日本のスーパー、ヤオハンがありました。同じ時期近鉄バッファローズを自由契約になった野茂英雄がロサンジェルスドジャーズに入団して当初の日本のマスコミの予想に反して大活躍した時代でした。野球好きの私は野茂の登板日には必ずTV観戦していましたし、ドジャースタジアム(建替えられる前の)に観戦に友人と共に出かけることもありました。ドジャーズ愛の強いLAっ子は当時メジャー最低賃金で入団したジャパニーズNOMOを大歓迎で向かい入れ(日本では野茂バッシング)子供達やMTVのタレント達は競ってHideo Nomoのトルネード投法を真似していました(笑)そこで感じたのはLAの人は人を実力で判断するんだなぁ~と。気候に恵まれ人々は大らかで日本人が多く住む都会な街LAは本当に素晴らしい街でした。大谷翔平がドジャーズを選んだのはこの街が素敵だからだとも思います。
数々の困難を乗越えて来た街LA
LAでは色々な事を経験しました。渡米間もないころLA暴動が起こり街に戒厳令がしかれLAのダウンタウン周辺の商店で略奪や放火が相次ぎました。原因は飲酒運転で捕まえた黒人男性に複数の白人警官が警棒でボコボコにして黒人男性に大けがを負わせた刑事裁判で白人警官全員が無罪になったことに黒人たちの怒りが端を発したLA Riotsです。次の年かその次の年にはLA北部のノースリッジを震源とするロースリッジ大地震を経験しました。ちょうど阪神淡路大震災の1年前1994年1月17日の明方マグニチュード6.7の地震でしたが、アメリカには日本の様に揺れの大きさを表す震度○○の様な指標が無く数字で表す揺れの大きさは分かりませんが、私が経験した地震の中では断トツに大きな揺れを感じました。ベットから振り落とされそうになるのを必死でこらえ、水槽はひっくり返り、キッチンの大型冷蔵庫はリビングまで移動して、片側4車線の高速道路が崩落して大勢の人がその地震で亡くなりました。
困難の度にアップロードしてきた街LA
LA暴動とLA大地震を当時経験した若者(私)は街・人がアップロードするのを目の当たりにしました。その事が起きる前と後で街や人々の意識が英語に不自由がある私にでも分かる位変化したのです。暴動の時は,渡米当初感じた白人と黒人の働き方の違い、働く場所の違いといった方が良いかもしれませんが、レストランで給仕する人に黒人がいないと思いました。ウエイター・ウエイトレスはほとんど白人かそのレストランに合わせた人種、日本食なら日本人、メキシカンだったらメキシコ人、といった感じで(例外は当然あります)暴動の後になるとそれが無くなり、以前には絶対黒人がいなかった様なダイナーやバーガーショップで黒人のウエイター・ウエイトレスを見る様になりました。当然黒人が自分たちの地位向上を訴えて起こした暴動の後ですから変わらないと事の方がおかしいんですが、当時の私の感覚ではアメリカは凄いなぁ~街と人が共生の為に努力しているんだ、もし日本で同じことが起こったら違う形になってるだろうなぁ~と、思ったのを覚えています。
地震の時一番感じたのは助け合い、近隣の人を思いやる心を感じました。地震直後にはこれまで話したことも無い同じフロアーに住む家族から大丈夫か?怪我は無いか?と声をかけてもらい心強かったのを覚えています。日本では地震に乗じて略奪が起こっていて治安が悪くなっているかの様な報道がなされていた様で色々な人から吹き込まれた母親から心配の電話をもらいましたが、何も知らない奴がいい加減が事を言うんじゃ無い!と憤慨したことを思い出します。
実際には少なくとも私の周りでは親達が心配するようなことは起きていませんでしたし、ボランティア活動も洗練されており救済、救援物資の分配もスムーズ復興・復旧も迅速に進み普段のんびりしているLAっ子!本当は出来る人達だったのねっ!!と見なおしました。実際数年かかると言われていた崩落した高速道路は数カ月で復旧し、ほどなくして日常が戻り、その後の好景気を迎え更に活気ある有名人、セレブが集う街LAへアップグレードしていったと思います。
Please make Greate LosAngelse again!
今回の山火事は最近の情報では200平方キロを焼失し完全鎮火の情報は今の時点(30日)では見聞きしていません。私が居た30年位前から乾燥による山火事が増えだし最初は何故人が住んでいないところで火災が発生するのか?分からず、たばこの不始末、放火、花火、焼身自殺説まで様々な噂が飛び交いました。アンタアナの風にしても昔からありましたが、今回映像で見るような台風級の風が吹くイメージは私は持っていません。消火水が足りないとの事ですが、豊富な貯水量を持つフバーダムの水で300万人の市民の生活を支え街中の木々にジャンジャン放水(日本人の私からしたら勿体ない位)していたLAなのに、何故(?_?)と感じます。

困難の度にそれを乗越えアップグレードしてきたのがロサンゼルスです。甚大な被害をうけている今回の火事ですが、彼らが持つ合理的な感覚と前に進む力で今回も困難をばねにアップロード・アップグレード出来ると信じています。とにかく今は一刻も早い完全鎮火とその後のLAの復興を願います!天使たちの町ロサンゼルスの人たちが安心して暮らせる日が一日でも早く訪れます様心よりお祈り申し上げます。Make great LA again!